大矢野城跡(読み)おおやのじようあと

日本歴史地名大系 「大矢野城跡」の解説

大矢野城跡
おおやのじようあと

[現在地名]大矢野町中

大矢野島中央部の丘にある。大矢野氏の主城と伝えられ、中村なかむら城ともいう。現在大矢野中学校敷地造成により遺構は変貌したが、周辺から五輪塔が発見されている。慶安四年(一六五一)の肥後国大道小道等調帳(県立図書館蔵)に「中村古城 平山城曲輪三百六拾間、右之古城より中村迄弐町中村者往還之村にて御座候」とある。蒙古襲来絵詞に博多の海を出撃する兵船が描かれ、その兵船上に「あまくさの大やのゝ十郎たねやす 同三郎たねむらのひやうせん」と記され、大矢野兄弟の奮戦が知られる。明応一〇年(一五〇一)頃の天草一揆談合覚書(志岐文書)に天草の「御一揆中」の一人として大矢野氏の名がみえ、「事蹟通考」の大矢野系図に「原田党領天草郡大矢野、因為家号、代々居大矢野城」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報