大矢田村(読み)おやだむら

日本歴史地名大系 「大矢田村」の解説

大矢田村
おやだむら

[現在地名]美濃市大矢田

天王てんのう(五三七・八メートル)の南麓に位置し、四方を山に囲まれた山村。東は極楽寺ごくらくじ村・笠神かさがみ村、北に枝郷半道はみち村がある。「おおやだ」ともいう。村名の由来は喪山伝説中の天羽々矢によるという(濃陽志略)中世には大屋田とも記し、紙市が立っていた。明徳元年(一三九〇)六月一八日の足利義満袖判下文案(佐々木文書)に「美濃国大屋田」とみえ、飛騨国守護佐々木(京極)高秀に当地の替所として、周済の乱に連座した土岐船木伊豆入道の跡地が宛行われた。大矢田神社蔵の明応三年(一四九四)一一月一三日の梵鐘陰刻銘に「美濃国武義郡山口郷東方天王山禅定寺」とあり、同社の前身とされる禅定ぜんじよう寺の存在から当地は山口やまぐち郷東方に属したと考えられる。同社蔵の大永三年(一五二三)一二月一八日の梵鐘陰刻銘には「濃州武義郡大矢田郷青柳社頭之鐘 本願後藤勘左衛門尉藤原吉久」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報