美濃市(読み)ミノシ

デジタル大辞泉 「美濃市」の意味・読み・例文・類語

みの‐し【美濃市】

美濃

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日本歴史地名大系 「美濃市」の解説

美濃市
みのし

面積:一一六・九一平方キロ

県のほぼ中央に位置し、東は武儀むぎ武儀町、西は同郡武芸川むげがわ町・洞戸ほらど村、南は関市、北は郡上ぐじよう美並みなみ村に接する。中央を南北に長良川が貫流し、南東流する板取いたどり川が市中央部で合流する。総面積の約八〇パーセントを山林が占め、長良川の東岸部は大和やまと山地の南端部で、古城こじよう(四三七・一メートル)松鞍まつくら(三一六・三メートル)がある。長良川の西岸部は板取川がつくったまき谷を挟んで、越美山地から延びた北側の高賀こうか山系と南側の汾陽寺ふんようじ山系が走り、前者に今淵いまぶちヶ岳(一〇四八・八メートル)ふくべヶ岳(一一六二・六メートル)矢坪やつぼヶ岳(八七三・三メートル)が並び、後者には天王てんのう(五三七・八メートル)誕生たんじよう(五〇一・七メートル)が連なる。市街地は中位段丘に位置し、河岸段丘に狭い田畑がある。若干内陸性を帯びた太平洋岸気候に属し、夏は摂氏三五度以上、冬はマイナス五度以上を超える日は少ない。須原の鶴形すわらのつるがた山暖地性植物はツブラシイ、タブノキなどを中心に、その北限を示す。

明治四四年(一九一一)岐阜―美濃町間に電車開通(現名鉄美濃町線)、大正一二年(一九二三)国鉄越美南線(現長良川鉄道)が美濃町駅(現在の美濃市駅)まで開通。国道一五六号が長良川沿いに貫通し、武芸むげ谷への県道美濃―高富たかとみ線、地方主要道として牧谷への洞戸―美濃線、津保つぼ谷への美濃―川辺かわべ線が分岐する交通の要衝。昭和六一年(一九八六)東海北陸自動車道が部分開通し、市南部に美濃インターチェンジが開設された。市名(前身の町名)美濃和紙にちなむように、古くから和紙の産地として知られる。かつては曾代そだい糸で知られる養蚕業も盛んで、今日は金属工業(刃物・自動車部品)や縫製業が伸びているが、全体として過疎化が進み、人口(昭和六二年、二万六千五八四人)が全国最下位部の市である。

〔原始・古代〕

大矢田の丸山おやだのまるやま古窯跡出土遺物中にエンドスクレーパーがあり、松森まつもりから南の関市域にかけての向中野むかいなかの(関市大字下有知の字名)遺跡では細石器が出土し、先土器時代の遺物が確認されている。縄文時代の遺物の散布地は市内各所にあるが、遺跡としては加曾利E式土器出土の前野まえの遺跡、多量の打製石斧・石皿、数十点の縄文土器片、有舌尖頭器が出土した須原の勇田ゆうでん遺跡、石鏃・石錘・打製石斧が出土した向中野遺跡がある。殿との町の港町岩陰みなとまちいわかげ遺跡からは大量の土器・石器が出土し、縄文時代全期にわたって幾度か住居として使用された遺跡として、研究上も注目されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「美濃市」の意味・わかりやすい解説

美濃〔市〕
みの

岐阜県南部,長良川中流域,支流の板取川との合流地点に広がる市。1911年上有知町が名称変更して美濃町となった。1925年安曽野村を編入。1954年洲原村,下牧村,上牧村,中有知村,藍見村,大矢田村の 6村と合体して市制。江戸時代は長良川の河港,金森氏の城下町牧谷や武儀谷に産する美濃紙集散地として繁栄した。美濃紙のなかでも伝統的な手すき製法によるものは本美濃紙といわれ,国の重要無形文化財で,2014年には世界無形遺産に登録された。本美濃紙の保存伝承の一方,近年は美術和紙,コピー用紙,輸出用ナプキンや刃物を特産。弥勒寺跡,丸山古窯跡などの国指定史跡,鹿苑寺地蔵堂などの国指定重要文化財があるほか,洲原神社のブッポウソウ繁殖地,楓谷のヤマモミジ樹林はともに国の天然記念物に指定されている。市域の一部は奥長良川県立自然公園に属する。国道156号線,長良川鉄道が通る。東海北陸自動車道のインターチェンジがある。面積 117.01km2。人口 1万9247(2020)。

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