大登村(読み)おおのぼりむら

日本歴史地名大系 「大登村」の解説

大登村
おおのぼりむら

[現在地名]三島町大登

川井かわい村の南西六町四〇間にあり、村の北二町を伊北いほう街道が通る。村の南三〇町に大谷おおたに宿があり、ここを通る銀山ぎんざん街道との連絡道である大谷通に沿う街村で、また只見ただみ川を船渡しで西方にしかた街道に継ぎ、伊南いな郷に送る塩荷駄の駅でもあった。宝暦五年(一七五五)の村指出帳(渡部家文書)に「越後より伊南江通候塩荷宿次ニ而大谷村江壱駄に付五拾七文宛ニ付申候」とある。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に「河井 百四十四石三斗七升 小村弥介」とあり、「おのほり」の注記がある。古くは隣村川井村一村をなしたと考えられ、別に川井村分として二〇八石余が記載されている。

大登村
おおのぼりむら

[現在地名]茂原市大登

長尾ながお村の西に位置し、南部丘陵が広がる。かつて西の黒戸くろど村と一村であったが、天正一九年(一五九一)七月の検地によって二宮にのみや庄大登村として分村したという(上総国町村誌)。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に大登村とみえ、高三〇〇石。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では高三〇〇石、旗本内藤領。村高・領主とも以後変化なく幕末に至ったと思われる(旧高旧領取調帳など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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