大生院村(読み)おおじよういんむら

日本歴史地名大系 「大生院村」の解説

大生院村
おおじよういんむら

[現在地名]西条市丸野まるの保野ほうの市之川いちのかわ大浜おおはま早川はいがわ津越つごえ新居浜にいはま市大生院

西条平野南東に重畳する標高四〇〇―一〇〇〇メートルの石鎚いしづち山脈とそれを刻んで北流する早川大浜川・渦井うずい川、西流して津越で加茂川に合流する市之川・保野川などの渓谷からなり、東西一里二四町、南北一里二九町、郡内第二位の広さをもつ山村。慶長一九年(一六一四)の高橋家文書(伊藤祐義氏蔵)に、

<資料は省略されています>

とあり、往生院は当時福武ふくたけ村分であったことがわかる。村名は、石山往生院正法しようぼう寺の寺院号に由来し(新居浜市の→正法寺、いつの頃よりか往生院の名を忌んで、大生院と改称したと思われる。寛永一三年(一六三六)以降、小松藩領。

大生院村
おおじよういんむら

[現在地名]新居浜市大生院、西条市丸野まるの保野ほうの市之川いちのかわ大浜おおはま早川はいがわ津越つごえ

西条平野の南東の石鎚いしづち山脈と、同山脈に発する諸河川の渓谷からなる村で、村名は石往生おうじよう正法しようぼう寺に由来する。明治二二年(一八八九)の町村制では江戸期のまま一村として存続し、昭和三〇年(一九五五)新居浜市に編入された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報