大島神社(読み)おおしまじんじや

日本歴史地名大系 「大島神社」の解説

大島神社
おおしまじんじや

[現在地名]三原市本町

もと三原城の鎮守としておお(本丸)に祀られ、のち野畑のはた山南側中腹の現在地に移された。祭神は稲倉魂命・大年神・豊受比売神。俗に切立稲荷きりたてのいなりと称する。相殿に小早川隆景が勧請して城の広間の庭に建立した厳島社を祀る。境内社に、もと(二の丸)にあり福島氏が移したと伝える小島こじま稲荷社、寛文年中(一六六一―七三)三原西みはらにし町の町人くい稲荷社(現御調郡久井町稲生神社)を勧請して建立した五社ごしや稲荷神社など四社がある。

野畑山への移転の時期について、稲荷社は福島氏時代、厳島社は享保一〇年(一七二五)の愚按稿(「三原市史」所収)に浅野忠真が稲荷山に移すとあり、「三原志稿」に延宝年中(一六七三―八一)両社再建とあるので、この頃までには移されたと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android