大島久直(読み)おおしま・ひさなお

朝日日本歴史人物事典 「大島久直」の解説

大島久直

没年:昭和3.9.27(1928)
生年嘉永1.9.5(1848.10.1)
明治大正期の陸軍軍人。秋田藩士の子。西南戦争従軍後,陸軍省総務局次長などを歴任。明治23(1890)年6月から通算約3年間陸軍大学校校長を務め,幕僚,教官,指揮官の養成,特に用兵高等化に尽力教え子には,田中義一,山梨半造らがいる。日清戦争では第1軍第3師団第6旅団長として海城で戦い,多数の犠牲者を出す。日露戦争では第3軍第9師団長として,旅順包囲作戦を行う。ロシア軍陣地の正面占領と同軍防御線分断をめざし,包囲線を構築した。39年5月大将に進み,近衛師団長,教育総監を歴任。<参考文献>上法快男編『陸軍大学校』,海野福寿『日清・日露戦争』

(山村義照)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大島久直」の解説

大島久直 おおしま-ひさなお

1848-1928 明治-大正時代の軍人。
嘉永(かえい)元年9月5日生まれ。明治4年陸軍中尉。日清(にっしん)戦争では歩兵第六旅団長。のち台湾総督府参謀長,陸軍大学校長。日露戦争では第九師団長として旅順攻撃に参加。39年大将。昭和3年9月28日死去。81歳。出羽(でわ)久保田(秋田県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例