大多府島(読み)おおたぶじま

日本歴史地名大系 「大多府島」の解説

大多府島
おおたぶじま

[現在地名]日生町大多府

日生諸島最南部の島。日生村から南に一里一二町。播磨室津むろつ(現兵庫県揖保郡御津町)から当地辺りを通り牛窓うしまど(現邑久郡牛窓町)に至る船路があり、水上交通の要衝として、船舶の取締りや航行の安全のための在番所があった。元禄一一年(一六九八)大漂おおたぶ湊が設けられ、初め在番の水主を二人、詰大役人四人が置かれ海上交通の諸役をつとめた。同一二年町並長屋二棟、同一四年には四棟が建てられ本土の住民が移住した。灯籠は元禄年間に山上に設置されたと思われ、行灯の油は年間一石一斗五升であった(撮要録)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大多府島」の意味・わかりやすい解説

大多府島
おおたぶじま

瀬戸内海、日生(ひなせ)諸島の島。岡山県備前(びぜん)市に属する。面積0.4平方キロメートル。1698年(元禄11)岡山藩開港農民を移住させて開拓した。現在島民はおもに海運業に従事している。海食崖(がい)が発達し、瀬戸内海国立公園の指定域に含まれる。島内には自然歩道が整備されている。日生港から定期船が通う。人口124(2009)。

[由比浜省吾]

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デジタル大辞泉プラス 「大多府島」の解説

大多府島

岡山県備前市、瀬戸内海の日生(ひなせ)諸島に属する島。面積約0.4平方キロメートル。“大多府”は「おおたぶ」と読む。江戸時代、西国大名の参勤交代時などの風待ち港として利用するため、岡山藩が本土からの移住を奨励。海上交通の要衝として栄えた。藩札偽造が行われていたとされる「勘三郎洞窟」など、大小の洞窟がある。

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