大城グスク(読み)うふぐしくぐすく

日本歴史地名大系 「大城グスク」の解説

大城グスク
うふぐしくぐすく

[現在地名]大里村大城

大城おおしろ集落の北側の独立的な小丘上、標高一四三メートルに位置する面積約三〇〇〇平方メートルの城塞的グスク。約五〇〇メートル北東には稲福いなふく遺跡群がある。築城時期ははっきりしないが一四世紀頃と伝えられ、「おもろさうし」巻一七の五一に「一 きこゑ大くすく(聞こえた大城)/みあかるちやう たてゝ(見事な城門を建てて)/しけち もちよせれ(御神酒持ち寄せよ)/又 とよむ大くすく(鳴響む大城)」とみえる。一四世紀末、大城按司真武は二キロ先に大里おおざとグスクを築いた大里按司(島添大里按司下之世之主)と勢力を争い、攻められて稲福いなふくで自害したという(麻姓田名家家譜)。なお「海東諸国紀」琉球国之図にみえる「越法具足城」は当グスクにあたる。

グスクの周縁は崖となっており、崖の縁辺に沿うように城壁石積みが巡っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報