大井田村(読み)おいだむら

日本歴史地名大系 「大井田村」の解説

大井田村
おいだむら

[現在地名]大安町大井田

門前もんぜん笠間かさま村の北にあり、村域中央部を西から宇賀うが川が流れ、東方で員弁川に合流する。宇賀川の南岸に主たる集落がある。村内の三井みいは集落名にもなっているが、天平一六年(七四四)に大安寺(現奈良市)に施入された「阿刀野百町」の四至のうち「東百姓墾田御井」(大安寺伽藍縁起并流記資財帳)のことかといわれている。「兵範記」保元二年(一一五七)三月二九日条に「大井田御厨」の名がみえ、この地一帯が大井田御厨とよばれていたものと思われる。

大井田村
おいだむら

[現在地名]御所市大字多田おいだ

寺田てらだ村の南西、葛城川の支流百々どど川の左岸に立地。天保郷帳では多田村となり、「古ハ大井田村」と注記する。近世初期は備中国松山藩(元和元年以後は近江国小室藩小堀政一)領。のち大和国内にある小室藩領のうち二千石の所領を政一から弟正行に分封したので、大井田村は旗本小堀氏領となる。

大井田村
おおいたむら

[現在地名]厳原町樫根かしね 大板おおいた

樫根村南東にある同村枝郷。佐須さす川上流の大板川が流れる。天保郷帳では樫根村枝郷として村名が記されるが、起源沿革未詳

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報