多珂郷(読み)たかごう

日本歴史地名大系 「多珂郷」の解説

多珂郷
たかごう

和名抄」所載の郷で、訓を欠く。「陸奥郡郷考」「大日本地名辞書」「日本地理志料」とも現原町市たかを遺称地とする。高は中世地名であり、近世村名でもある。高字じよううちの多珂神社は式内社で、その前を流れる太田おおた川の旧称は多珂川である。「日本書紀」景行天皇四〇年是歳条に「ここに日本武尊、則ち上総かみつふさよりうつりて、陸奥国みちのくのくにりたまふ。時におほきなるかがみ王船みふねけて、海路うみつぢより葦浦あしのうらめぐる。

多珂郷
たかごう

「和名抄」に「多珂」と記され、訓を欠く。「新編常陸国誌」に「按ズルニ、今ノ手綱、赤浜等ノ村里、皆古ノ多珂郷ニテ、手綱ハ郡家ノアリシ所ナリ」とあり、比定地は定かでないが、郷域は現高萩市上手綱かみてつな・下手綱・赤浜あかはま、北茨城市小野矢指おのやさし日棚ひたな粟野あわの足洗あしあらい松井まつい上桜井かみさくらい・下桜井の一帯とされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報