堀江川(読み)ほりえがわ

日本歴史地名大系 「堀江川」の解説

堀江川
ほりえがわ

元禄一一年(一六九八)新地開発のため河村瑞賢によって開削された堀川(大阪市史)西横堀にしよこぼり川から分流し、長堀ながほり川と道頓堀どうとんぼり川のほぼ中間を両堀川に並行して西流し、木津きづ川に注いだ。昭和三五年(一九六〇)埋立てられて姿を消したが、かつての流路は現在の南堀江みなみほりえ一―四丁目に含まれる。全長は一二町一五間五尺、幅は三〇間であったが、明和元年(一七六四)に川浚えが行われ、両岸築地が造成されて幅一二間となった(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の堀江川の言及

【堀江】より

…(2)大阪市西区の地名。1698年(元禄11)江戸幕府は新地の開発を目的に,河村瑞賢に命じて大坂三郷地続きの長堀川,道頓堀にはさまれた地を開発させ,中央部東西に堀川を開削させて〈堀江川〉と名づけた。以後川の北側を北堀江,南側を堀江と通称するようになったが,幕府は堀江新地繁栄のため上荷船500艘,新土船24艘を許可したほか,茶屋株,煮売株,水茶屋,湯屋株,道者宿株,髪結床,能舞台,芝居,相撲,魚市,青物市を許し,三郷のなかに組み入れた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」