城福寺(読み)じようふくじ

日本歴史地名大系 「城福寺」の解説

城福寺
じようふくじ

[現在地名]満濃町四条 本村

本村ほんむらの国道三二号の南にある。医王山浄願院と号し、浄願じようがん寺と通称されている。真言宗御室派、本尊薬師如来で十二神将を従えている。脇仏として聖観音地蔵菩薩・不動明王・阿弥陀如来・弘法大師像を祀る。讃岐三十三観音霊場の第一一番札所。寺伝では大同年間(八〇六―八一〇)に空海によって創建、その後幾多の変遷を経て、天正七年(一五七九)の長宗我部元親と長尾大隅守の戦いで土佐軍によって堂宇を焼払われ、法什物といっさいの記録を焼失したという。

城福寺
じようふくじ

[現在地名]馬路村魚梁瀬

丸山まるやま台地にある集落の北方山際にあるが、これは魚梁瀬やなせダムの完成により旧地が水没したために移転したもので、魚梁瀬山当雪院と号し、高野山真言宗で本尊阿弥陀如来。寺伝によれば壇之浦の合戦に敗れた平教経は、元暦元年(一一八四)この地に逃れて小城を築き籠っていたが、いつの頃かその旧跡が真言宗の寺となり、金剛頂こんごうちよう(現室戸市)末寺となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報