垂美村(読み)たるみむら

日本歴史地名大系 「垂美村」の解説

垂美村
たるみむら

[現在地名]古平郡古平町大字港町みなとまち

明治初年(同二年八月―同六年の間)から同一二年(一八七九)まで存続した村。浜中はまなか村の北にあり、東部は海に臨む。明治初年イベシルン、ミミタレの地を「座見村」(垂見村か)としたという(状況報文)。明治四年の「北海紀行」ではメメタレとみえ、戸数四〇。同六年の「後志国地誌提要」では垂美村とし、戸数三六(すべて平民)・人口一五二、寄留戸数三(平民)・人口二〇七(士一・平民二〇六)、弁財船一・三半船一七・保津船四三・磯船四二、また稲荷社(嘉永六年建立という)が祀られていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報