垂井一里塚(読み)たるいいちりづか

国指定史跡ガイド 「垂井一里塚」の解説

たるいいちりづか【垂井一里塚】


岐阜県不破(ふわ)郡垂井町日守にある一里塚。中山道の垂井宿を抜けて西へしばらく歩くと左側にあり、江戸から数えて112里目の一里塚で、隣接して入り母屋造りの茶所跡がある。本来は街道両側に対をなすものだが、現存するのは南側だけである。関ヶ原の戦いの際に、東軍の浅野幸長(よしなが)は徳川家康退路を確保するために、6500の兵を率いてこの一里塚付近に布陣した。一里塚は徳川家康が街道整備のため、1604年(慶長9)に主要街道への設置を命じたもので、これにより江戸日本橋起点として1里(約4km)ごとに5間(約9m)四方、高さ1丈の頂(いただき)に榎(えのき)を植栽した塚が、道を挟んで2基ずつ築かれた。りっぱな榎の茂る一里塚は、1930年(昭和5)に国の史跡に指定された。中山道の一里塚で、国の史跡は2ヵ所しかなく、他の一つは東京都板橋区にある志村一里塚である。JR東海道本線垂井駅から徒歩約25分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報