坊門町(読み)ぼうもんちよう

日本歴史地名大系 「坊門町」の解説

坊門町
ぼうもんちよう

下京区綾小路通・仏光寺通・高辻通大宮西入

町域は、北が綾小路あやこうじ(旧綾小路)、南は松原まつばら(旧五条大路)までで、間を東西仏光寺ぶつこうじ(旧五条坊門小路)高辻たかつじ(旧高辻小路)が通る。

平安京の条坊では左京五条一坊四保一〇町西側、同一五町西側及び南側、そして同三保一四町西側の地。町の一部は五条後院跡に含まれる(拾芥抄)。明治以前は田中町・四軒しけん町・西往寺前さいおうじまえ町・寺之前町帰命院前きみよういんまえ町に分れ、明治二年(一八六九)八月に合併して一町となり、新しく「坊門町」と名付けられた。

寛永一四年(一六三七)洛中絵図及び寛文一二年(一六七二)洛中洛外大図は、寺院と帰命院門前に町家区画を描くのみで町名は記さない。宝永二年(一七〇五)洛中洛外絵図は「帰命院前丁」と「田中丁」を記し、天明六年(一七八六)京都洛中洛外絵図は前記二町に「西往寺前丁」が加わり、天保二年(一八三一)改正京町絵図細見大成は「帰命院前丁」「田中丁」「寺前丁」「四けん丁」の四町を記し、慶応四年(一八六八)改正京町御絵図細見大成で五町がそろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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