坊門信清の娘(読み)ぼうもん・のぶきよのむすめ

朝日日本歴史人物事典 「坊門信清の娘」の解説

坊門信清の娘

生年生没年不詳
鎌倉前期の女房。後鳥羽上皇の妾。内大臣信清の娘で,上皇腹心の女房卿二位の養女。初め坊門局と称し,のち西御方と称す。院の小御所に住み,仁和寺の御室道助法親王,嘉陽門院,頼仁親王を生む。これらの子らの養育には,伯母に当たる上皇の母七条院が深くかかわっており,道助は七条院が猶子として養育した。また頼仁は卿二位が養君として育てた。後鳥羽上皇が隠岐に配流されると,付き従って隠岐に赴いたが,寛喜1(1229)年,病のためひとり帰京した。

(秋山喜代子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報