坂本駅(読み)さかもとのえき

日本歴史地名大系 「坂本駅」の解説

坂本駅
さかもとのえき

古代東山道の美濃国最後の駅家。大井おおい駅とともに恵奈えな郡に属する。「延喜式」兵部省によれば駅馬は三〇疋を備え、令の規定の三倍を数える。東山道では近江国の勢多せた駅、信濃国の阿知あち駅と並んで最多である。このうち勢多駅は東海道との共用のためで、坂本・阿知の両駅は美濃・信濃国境神坂みさか峠を控えての備えである。恵奈郡に二駅置かれたのもそのためである。したがって、坂本駅についてみる場合、神坂峠を抜きにしては語れない。昭和四三年(一九六八)神坂峠祭祀遺跡の発掘調査が行われ、出土した鏡・石製模造品(鏡・剣・玉類・刀子など)・ガラス玉および土師器須恵器などの土器類は、いずれも峠神にささげられた幣で、古墳時代初期から平安時代末期にいたる幅広い時代にわたり、安全な通行を願う祭祀が盛んに行われたことが確認された。

坂本駅
さかもとのえき

[現在地名]足柄関本

古代東海道の駅制で設置された駅。「古事記」には東征中の倭建命が「足柄の坂本」で食事をとろうとすると坂の神が白鹿となって近づいて来た話がみえる。「延喜式」(兵部省)に「相模国駅馬 坂本廿二疋、小総・箕輪浜田各十二疋」とあり、相模国の他駅に比べて大駅であった。「延喜式」から坂本を通る古代の駅路をたどると、駿河国横走よこばしり(現静岡県御殿場市)から足柄あしがら峠を越え当駅に至り、それより酒匂さかわ川に沿って南下し、小総おふさ(現小田原市)箕輪みのわ(現伊勢原市か)を経て浜田はまだ(現海老名市か)から武蔵に入っていた。

坂本駅
さかもとのえき

「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条および「和名抄」高山寺本北陸駅条にみえる北陸道の駅。礪波郡内にあり、駅馬五疋を配置することとされた(延喜式)。加賀国の田上たがみ駅または深見ふかみ駅から国境の山を越えて越中国に入った最初の駅にあたる。位置については、現福光ふくみつ町坂本(近世の石黒郷坂本村)にあてる見方(越中志徴)と、現小矢部おやべ坂又さかまた(近世の宮島郷坂又村)にあてる見方(大日本地名辞書)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報