土肥大作(読み)どひ・だいさく

朝日日本歴史人物事典 「土肥大作」の解説

土肥大作

没年:明治5.5.24(1872.6.29)
生年天保8.9.2(1837.10.1)
幕末讃岐丸亀藩(香川県)藩士江戸に出て昌平黌に学び,帰藩後,藩校正明館に登用される。尊攘派志士と交流を深め,幕府嫌疑を恐れた藩の命で慶応2(1866)年9月投獄されるが,明治1(1868)年4月,土佐藩兵の征討を受けるにおよび獄より出される。三河県判事を経て丸亀藩権大参事となり藩政改革を推進,同4年4月民部省出仕。帰国中の7月,改革に不満を持つ士族に襲われ負傷した。大蔵省出仕,飾磨県参事を経て,新治県参事在任中,任地の常陸土浦で自刃。「棺を蓋うて論定まると 此の言吾れ嘗て聞けり 精神は未だ尽きず 句に題して諸君に問わん」と辞世の詩にある。

(井上勲)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土肥大作」の解説

土肥大作 どひ-だいさく

1837-1872 幕末-明治時代の武士,官僚
天保(てんぽう)8年9月2日生まれ。讃岐(さぬき)(香川県)丸亀藩士。江戸で昌平黌(しょうへいこう)にまなぶ。文久3年弟土肥七助(しちすけ)とともに脱藩,京都で諸藩の尊攘(そんじょう)派とまじわり,一時藩命で幽閉される。維新後,姫路県参事をへて新治(にいはり)県参事在任中の明治5年5月24日自殺。36歳。名は実光(さねみつ)。

土肥大作 どい-だいさく

どひ-だいさく

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