土呂久鉱山跡(読み)とろくこうざんあと

日本歴史地名大系 「土呂久鉱山跡」の解説

土呂久鉱山跡
とろくこうざんあと

[現在地名]高千穂町岩戸

標高一五〇〇メートルを超える祖母そぼ連山に源を発して南流する土呂久川沿いの谷間に位置する。江戸時代初期に豊後の守田三弥が発見し、ポルトガル人技師ヨセフ・トルコらを連れてきて彼らによる西洋の精錬法で産出した銀により、三弥は巨額の富を得たと伝える(高千穂町史)。江戸時代には外禄銀山とも記される。「日向地誌」には「本村ノ北向ヒ土呂久ノ山腹ニアリ、坑物発見ハ元和二年丙辰ニ起リ其後屡廃シ屡興ス、嘉永五年壬子延岡藩主内藤氏吏ヲシテ着手セシムル、十年許引継キ熊本藩主細川氏再ヒ吏ヲシテ着手セシムル、五六年ニシテ一時休廃セシカ明治十二年己卯四月鹿児島士人長崎武一郎ト云者又復発起セリ、一ケ年出来高未タ詳ナラス、其質極テ佳ナリト云」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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