四宮庄(読み)しのみやのしよう

日本歴史地名大系 「四宮庄」の解説

四宮庄
しのみやのしよう

現長野市篠ノ井塩崎しおざき及び更埴こうしよく稲荷山いなりやま桑原くわばらにまたがる一帯。北はひじり川を境に石川いしかわ庄に接し、東は平久保へくぼを境に布施本ふせほん庄に接し、南は小谷おうな庄に接する。現在の塩崎集落の西方には、そのなごりと思われるみやがある。

四宮庄は、旧塩崎村の地籍図によると、松節まつぶせ堤防の北に中条なかじようの地名が残っている。貞和二年(一三四六)六月、諏訪円忠の四宮庄田在家注進状案(天龍寺重書目録)には「四宮庄北条」とあり、その南に「南条」があったことが想定されるから、中世にはこの荘園は、北条・中条・南条の三地区に分かれていたと考えられる。

「吾妻鏡」文治四年(一一八八)二月二日条によれば、京都の諸家が所縁を頼り源頼朝に愁訴し、諸国の地頭らの不法乱行の禁止を請うものが多かったので、幕府は直接下知するもの以外の、所縁による私的な訴えは受理しないと述べており、その中に「右衛門佐御局 信濃国四宮庄地頭不進弁年貢并領家得分由事」とある。右衛門佐局は八条院の女房と考えられ、この頃八条院領であり、また当時この荘園に地頭が存在し、強勢を振るっていたことも想像される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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