和束(読み)わづか

改訂新版 世界大百科事典 「和束」の意味・わかりやすい解説

和束[町] (わづか)

京都府南東部,相楽郡の町。人口4482(2010)。木津川の支流和束川の流域に位置し,町域の大部分山地で,北に鷲峰山(じゆぶせん)(682m)がそびえる。古く聖武天皇の恭仁(くに)京造営時より,一帯の山は杣(そま)として利用されたものと考えられ,天皇の子安積(あさか)親王の死(744)を悼んだ大伴家持の歌に〈和豆香(わづか)そま山〉の名がみえる(《万葉集》巻三)。和束杣は,のちには興福寺領となっており,源平争乱の際には平氏が兵士や兵粮米を賦課し,杣工らはその停止を訴えている。元弘の乱の際,後醍醐天皇はいったんは〈和束ノ鷲峰山〉に逃れたが〈余リニ山深ク里遠シテ,何事ノ計略モ叶マジキ処〉なので,さらに笠置に遷幸したという(《太平記》巻二)。室町時代には北野社領和束荘もあった。江戸時代初期,和束郷14ヵ村は将軍徳川秀忠の娘和子(東福門院)が後水尾天皇の中宮となったことにより化粧料として献上され,禁裏御料として明治維新に至った。山地斜面を利用した茶の栽培が盛んで,とくに煎茶の主産地として知られ,林業も行われる。鷲峰山山頂近くにある金胎(こんたい)寺は,山岳霊場として古くから開かれたと伝え,大和大峰山に対して〈北大峰〉と呼ばれた。境内は国の史跡。また白栖(しらす)には安積親王の墓とされる墳墓がある。
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