和徳町(読み)わつとくまち

日本歴史地名大系 「和徳町」の解説

和徳町
わつとくまち

[現在地名]弘前市和徳町

城の東側に位置し、東長ひがしなが町との境の土淵つちぶち川から東へ進み、北に折れて青森道へ抜ける道筋町並。東は和徳村、西は茶畑ちやばたけ町・茶畑新割ちやばたけしんわり町に接し、町の東側部分は南の代官だいかん町からの町並に続く。

天文年間(一五三二―五五)津軽郡中名字に「和徳」とあり、町内の稲荷神社は元亀二年(一五七一)大浦(津軽)為信が攻略した、南部方の武将和徳讃岐の居城跡という(津軽一統志、津軽歴代記類)

「平山日記」の寛文一〇年(一六七〇)に、町内からよこ(現東長町)への新道開設がみえ、同一三年の弘前中惣屋敷絵図(市立弘前図書館蔵)には、土淵川以東に道路が若干と、川沿いの新派屋敷が屋敷割されるが、町内の町割はない。こののち急速に町並が形成されたらしく、延宝五年(一六七七)弘前惣御絵図(同館蔵)では、西側の東長町と接続する町域は東長町六―九丁目、代官町と続く東側地区が和徳町とあり、和徳村は上和徳かみわつとく村と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報