名島村(読み)なじまむら

日本歴史地名大系 「名島村」の解説

名島村
なじまむら

[現在地名]東区名島一―五丁目・水谷みずたに二丁目・松崎まつざき二―四丁目・千早ちはや一―四丁目など

表粕屋おもてかすや郡に所属。箱崎はこざき村の北、多々良たたら川の河口部北側に位置し、博多湾の東岸にあたる海岸線に面する。妙見みようけん島は潮が引くと歩いて渡れる。古くはかや町と称したという(続風土記)

応仁二年(一四六八)に「名島・櫛島両島太守藤原縄繁」が朝鮮に遣使し、対馬の宗貞国の請をもって接待を受けているが(海東諸国紀)、藤原縄繁なる人物が実在したかは疑わしい。名島が史料上に頻出するようになるのは戦国期以降である。永禄一一年(一五六八)四月一二日毛利軍が大友方の立花たちばな城麓に陣を張り、この際「兵船名嶋内海仁懸之」(天正六年六月一日「宗像第一宮御宝殿置札」宗像大社蔵)とみえる。

名島村
なしまむら

[現在地名]美山町大字豊郷とよさと 名島

つるおか一九ヵ村の一。棚野たなの川の支流西にし川の左岸に沿った山間集落。南東(川の下流)松尾まつお村、南西は神谷かんだん村。古代は「和名抄」に記す弓削ゆげ郷に属する地。鎌倉時代末期には弓削庄の一部であったが、のち野々村ののむら庄に包含されたともいわれる。室町中期には一時管領細川氏領となったというが(大正一二年「京都府北桑田郡誌」)確証はない。

慶長七年(一六〇二)幕府領、寛文四年(一六六四)より篠山藩領となる。

名島村
なしまむら

[現在地名]広川町名島

ひろ村の東にあり、東南部は柳瀬やなせ村に接する。「続風土記」に「広川、村領を流る、此辺古は入江にして村中の山埼自然ト島の形をなせるより島の名起れる」とある。広川に沿って左岸に上名島原・中名島原・下名島原と地続きの小字が並び、熊野街道が通る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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