吉田宜(読み)きったのよろし

朝日日本歴史人物事典 「吉田宜」の解説

吉田宜

生年生没年不詳
奈良時代の医官。百済系の帰化渡来人。もとは僧で恵俊と称したが,文武天皇4(700)年8月20日勅命により還俗,姓を吉,名を宜と賜った。和銅7(714)年正月,正六位下より従五位下へ,養老5(721)年1月27日には従五位上にあって医師師範としての功により賞賜を加えられた。神亀1(724)年正月には吉田連の姓を賜り,天平2(730)年3月,学生に伝業し,同5年12月に図書頭,同9年9月に正五位下,同10年閏7月には典薬頭へと進んだ。文才に秀で『懐風藻』や『万葉集』にその詩歌が収録されている。朝鮮半島よりの学識をもって累官した当時の医療技術者,文人であり,子孫もこれに連なった。

(小曾戸洋)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田宜」の解説

吉田宜 きちたの-よろし

?-? 飛鳥(あすか)-奈良時代の医師。
百済(くだら)(朝鮮)から渡来して代々医術をつたえた吉(きち)氏の子孫。僧となり恵俊と称したが,文武天皇4年(700)勅命で還俗(げんぞく),のち吉田姓をおくられる。天平(てんぴょう)2年弟子をとって医術を伝授。10年典薬頭(てんやくのかみ)。70歳で死去した。「懐風藻」に詩2首,「万葉集」に歌4首がある。

吉田宜 きのたの-よろし

きちたの-よろし

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