吉波村(読み)よしなみむら

日本歴史地名大系 「吉波村」の解説

吉波村
よしなみむら

[現在地名]広見町吉波

三間みま川南部の丘陵地を隔てた山あいの村。東は瀬波せなみ村、西は土居中どいなか(現三間町)に接する。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)宇和郡の項に「吉波村 茅山有」と村名がみえる。「郡鑑」によると、当村は「土居中村与兵衛御預」とあり、庄屋は土居中村庄屋の兼任であったことがわかる。吉田藩領。太閤検地石高は四五〇石、正保検地(正保二―四年)では六二三石九斗七合となっている。

延宝九年(一六八一)の「吉田古記」によると、村内の船岡山成願じようがん(現常願寺)臨済宗で、吉田よしだ大乗だいじよう寺末で、本尊阿弥陀如来坐像(高さ三尺七、八寸)の胎内銘と頭部内の文書に

<資料は省略されています>

と記載されており、この阿弥陀如来は日向国の良伝が製作し、天正一五年(一五八七)西園寺公広が成願寺に施入したことがわかる。

吉波村
よしなみむら

[現在地名]永平寺町吉波

岩野いわの村の東にあり、九頭竜くずりゆう川を挟んで南西飯島いいじま村。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に村名がみえ、高二〇八・五三三石。正保郷帳によれば、田方九七石余・畠方一一一石余。正保二年(一六四五)福井藩領から松岡藩領となり、享保六年(一七二一)再び福井藩領。

安永二年(一七七三)福井藩金津領村鏡(高橋家文書)によると、田方三町一畝余・畑方四町二反余、年貢率は一割五分で頂上免は元禄三年(一六九〇)の一割六分。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android