地侍(読み)じざむらい

精選版 日本国語大辞典 「地侍」の意味・読み・例文・類語

じ‐ざむらい ヂざむらひ【地侍】

〘名〙 南北朝から戦国時代にかけて、荘園、郷村に勢力をもち、戦乱一揆の際に現地の動向を指導した有力名主層出身の侍。広範な所領をもって一部を手作りし、一部を小作させた。戦国時代には諸大名の家臣となった。また、幕府や諸大名家に属する武士に対して、在野の武士、土豪をもいう。じざぶらい
※俳諧・談林十百韻(1675)上「山城岩田小野の地侍〈志計そうがう額尾花波よる〈在色〉」

じ‐ざぶらい ヂざぶらひ【地侍】

※室町殿日記(1602頃)一「近郷の地さふらひに被仰付て」

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「地侍」の意味・読み・例文・類語

じ‐ざむらい〔ヂざむらひ〕【地侍】

中世後期の有力名主層。そうの中心になるとともに、守護戦国大名の家臣にもなった。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「地侍」の意味・わかりやすい解説

地侍 (じざむらい)

中世後期の村落における上層身分の俗称の一つ。地士とも表記される。研究史上では,土豪・上層名主(みようしゆ)・小領主・中世地主などともいわれ,とくに一揆の時代といわれる戦国期の社会変動を推進した階層として注目される。中世社会の基本身分は・凡下(ぼんげ)・下人(げにん)の三つから成っていたが,中世後期の村落でも〈当郷にこれある侍・凡下共に〉〈当郷において侍・凡下をえらばず〉(〈武州文書〉)というように,侍と凡下は一貫してその基本的な構成部分であった。地侍はこの村の侍の俗称であり,凡下の上に位置していた。侍はふつう百姓とは別のもの,武士の同義語と考えられがちであるが,〈人夫のことは百姓役なり,百姓の儀においては侍・凡下をいわず,その地につきての役所なり〉(1473年,《大乗院寺社雑事記》)とされたように,村落において領主の耕地をもつかぎり,侍も凡下もともに領主からは百姓とみなされた。

 戦国農村の侍には,〈奉公人,物作らず〉(〈河毛文書〉)と〈主をももたず,田畠作らざる侍〉(〈平野荘郷記〉),〈奉公をも仕らず,田畠をもつくらざるもの〉(〈浅野家文書〉)というように,領主を主人にもち軍役をつとめる侍と,主人をもたず軍役をつとめない侍とがあり,村落のなかでは自分では田畠を作らず,とくに前者は夫役などの負担免除の特権を与えられている場合が多かった。一般百姓も〈中間(ちゆうげん)〉から〈かせ者〉へというようなコースで主もちの侍身分に取り立てられるのが名誉とみなされ,戦功の恩賞とされることがあった(〈児野文書〉)。

 しかし戦国大名はやがて〈百姓等,武士へ奉公すべからず〉(1536年,〈安養寺文書〉)というように,武士と百姓(主なしの侍・凡下)の間を切り離そうとする政策をとるようになり,戦国末期には,大名に奉公し軍役をつとめる侍・凡下が軍役衆=兵であり,主なしの侍・凡下が百姓=農であるという新しい基準をもつ,いわゆる兵農分離の身分制度の形成される方向が現れてくる。この方向を制度として展開したのが豊臣政権で,〈侍・中間・小者・百姓〉などの奉公人が主人に無断でその関係を変更することは禁止され(1588年,〈浅野家文書〉),〈主をももたず,田畠作らざる侍共〉は農村から排除さるべきものとされた(1590年,〈平野荘郷記〉)。この政策は江戸幕府に受け継がれ,村には侍株・侍分など百姓と区別される家柄は残るが,中世的な侍の身分と主なしの地侍の存在は公の体制としては否定された。近世初期の村落にすむ主もちの侍は,〈侍・中間・小者・あらしこ〉などと一括して呼ばれたように,武士身分でも百姓身分でもなく,武士奉公人中の上位者(若党か)の呼称とされるにいたる。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「地侍」の意味・わかりやすい解説

地侍
じざむらい

中世後期村落の有力名主(みょうしゅ)層をさす。惣村(そうそん)においては「オトナ」として村落共同体の中核をなしていたが、その一方で、名字をもち、「方(かた)」「殿(どの)」などの敬称を付され、荘園(しょうえん)の下級荘官となって支配機構の末端を担うなど、侍衆として一般の地下(じげ)百姓衆とは区別される存在であった。とくに戦国期に入ると、彼らは周辺小農民との間に地主経営による小作料の収取関係や、被官関係を展開し拡大していく。しかし、その動向は領主化への志向に一元化されるものではなく、権益を保持するため、地侍同士の横の連合を強めるとともに、共同体規制に依存して、その規制によって収奪を実現し村落内における基盤をますます固めるなど、在地との結合を深めるような面をもっていた。兵農分離を経て中世から近世に至る歴史的過程のさまざまな可能性は、このような地侍層の動向を探ることによって究明されるものと考えられる。

 なお、軍記や記録などにみられる地侍は、幕府や守護・諸大名に属する武士に対して、在野の武士という意味で、国人(こくじん)領主の概念をも含むものである。

[伊藤敏子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「地侍」の意味・わかりやすい解説

地侍【じざむらい】

地士とも書く。中世後期の村落における上層身分の俗称の一つ。土豪・中世地主・上層名主などともいわれる。在村の侍で,領主からは耕地を持つ百姓とみなされた。領主に奉公して軍役を務める侍と,主を持たない侍があったが,戦国期以降大名に奉公しその家臣となる侍(兵)とそうでない百姓(農)に身分を分けられ,兵農分離徹底後は,主なしで田畑を作らない中世的な侍身分(地侍)は農村から排除された。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「地侍」の意味・わかりやすい解説

地侍
じざむらい

中世の土豪的武士。階層的には有力名主層にあたり,鎌倉時代末期以降,幕府権力の衰退に伴って郷村の支配権を握り,領主化していった。南北朝時代,室町時代には,地侍たちが同盟して一勢力をつくったり,百姓を指導して一揆を起したりして,政治の動向を左右した。戦国時代になると,次第に戦国大名の家臣や郷士となり,現地農村支配を進めて近世大名の領国形成の主導的役割をになった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「地侍」の解説

地侍
じざむらい

地下侍・地士とも。中世,土着した下級武士。荘園制下の地主であるとともに,大名などと主従関係をもち侍身分を獲得した者。村落の指導者であるとともに戦国大名の軍事力の基盤をなした。豊臣政権の兵農分離政策で,近世村落の郷士となった者も少なくない。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「地侍」の解説

地侍
じざむらい

南北朝〜戦国時代の在郷土着の武士
有力名主で農業経営を行う一方,小領主化し,惣の指導者,土一揆の主勢力となり,下剋上の原動力であった。やがて戦国大名の家臣として城下町に住むか,郷士として農村にとどまった。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の地侍の言及

【殿原】より

…平安・鎌倉時代に公家や武家男子の敬称(《入来文書》)や対称(〈北条重時家訓〉)として用いられるが,ひろく中世社会では,村落共同体の基本的な構成員たる住人,村人の最上層を占めて殿原,百姓の順に記され,村落を代表する階層として現れる。名字をもち,殿とか方などの敬称をつけて呼ばれ,〈殿原に仕〉える者をもち(《相良氏法度》),〈地下ノ侍〉(《本福寺由来記》)つまり侍身分の地侍として凡下(ぼんげ)身分と区別され,夫役(ぶやく)などの負担を免除されることもあった。後期の村落の名主(みようしゆ)・百姓のうちの名主上層に当たるとみられるが,〈殿原とも百姓として作仕る〉(〈法隆寺文書〉)といわれ,領主からは土地を耕作するかぎり百姓とみなされた。…

【兵農分離】より

…中世末期の下剋上の戦乱のなかで,経済的には支配階級に属しながら被支配身分である地侍名主(みようしゆ)百姓などが分解を遂げ,領主―農奴という近世封建社会の基本的階級関係が確定づけられていくが,支配身分としての武士と,被支配身分としての百姓町人などが截然と区別され,武士が他のすべての者を支配し,その原則に基づいて秩序づけられる体制が形成されていく過程を指す。百姓はもちろん,武士も古くから存在していた。…

【寄親・寄子】より

…寄子に先行する同じ性格をもつものとして,奈良時代の寄口(きこう),平安時代の寄人(よりうど)があるが,鎌倉時代の惣領制において,惣領が非血縁的武士を族的な関係の中に〈寄子〉として繰り入れ,その所当公事(しよとうくじ)などを庶子と同じく割り当て,負担させていたことが知られる。おそらく,それぞれの時代に,いろいろな階層に,弱小の者が有勢者に保護を求め,擬制的血縁集団の一員であることを保証された種々の形態の寄親・寄子的関係が存在したと考えられるが,室町時代に村落の中から有力農民が武士化する傾向が強まると,これら在郷の地侍はそれぞれの地域の有力武士と主従関係を結んだり,これを寄親と頼んで,寄子となることが一般化した。このような地侍を家臣団として組織化することが急務であった戦国大名は,在地に形成されていた寄親・寄子関係をそのまま承認するとともに,大名と直接主従関係をもつ地侍を有力武将に預けるというかたちで,新しい寄親・寄子関係を設定するなどして,これを家臣団編成方式として制度化していった。…

※「地侍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android