吉川興経(読み)きっかわ おきつね

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉川興経」の解説

吉川興経 きっかわ-おきつね

1508-1550 戦国時代の武将
永正(えいしょう)5年生まれ。吉川元経(もとつね)の長男安芸(あき)(広島県)山県郡大朝(おおあさ)の国衆(くにしゅう)。縁戚毛利元就(もとなり),大内氏,尼子氏の各勢力がはりあう状況下で,永年去就がさだまらなかった。天文(てんぶん)16年元就の次男元春を養子にむかえ隠居するが,同19年9月27日元就によって実子とともに殺害され,吉川氏の正系は断絶した。43歳。通称は次郎三郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の吉川興経の言及

【吉川氏】より

…駿河出身の中世武家。姓は藤原,南家武智麻呂の四男乙麻呂の後裔。乙麻呂11代の孫維清は,駿河国入江に住して入江氏を称す。吉川氏の始祖経義は,維清の玄孫で入江の吉川の地に住し,はじめて姓を吉河(または吉香)と称し,源頼朝に従属した。朝経のとき播磨国福井荘を充行われた。経光は承久の乱で北条氏に属したが,1221年(承久3)6月の宇治橋の合戦の功により安芸国大朝荘(広島県山県郡)の地頭職に補任された。その子経高は1313年(正和2)駿河国入江荘吉川邑より大朝荘に下向した。…

※「吉川興経」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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