合戸村(読み)ごうどむら

日本歴史地名大系 「合戸村」の解説

合戸村
ごうどむら

[現在地名]いわき市三和町みわまち合戸ごうど

好間よしま川流域の阿武隈高地中にあり、南東下流は大利おおり村、北西上流は渡戸わたど村、北は下永井しもながい村。磐前いわさき郡に属した。近世の領主の変遷は磐城平藩領から寛永一一年(一六三四)泉藩領、元禄一五年(一七〇二)以降幕府領。文禄四年(一五九五)の四郡検地高目録に「沢渡ノ内 郷戸村」とあり、高一二六石余。慶長一三年(一六〇八)の岩城領分定納帳(内藤家文書)では高一七七石余。正保郷帳では田方八一石余・畑方九五石余。元禄郷帳では合戸村は高二三三石余、枝郷浮屋うきや村は高三二〇石余、菖蒲しようぶ新田は高三二石余。天保郷帳には「古者 合戸村・浮屋村・菖蒲新田三ケ村」と注記される。

合戸村
ごうどむら

[現在地名]浜岡町合戸

(遠州灘)に面した砂丘地帯にあり、きく(国安川)支流高松たかまつ川中流左岸に位置し、東はもと枝郷であった塩原しおばら新田、西は国安くにやす(現大東町)、北は河東かとう(現小笠町)中世には閤戸とも記し、天文二〇年(一五五一)二月二三日の今川義元判物(中山文書、以下断りのない限りは同文書)で、高松社神主に「閤戸村竈所々神田一王子分」が安堵されている。当村の砂成荒地の百姓職が別人に与えられたのに対して高松神主が提訴した結果で、高松社には棟別や塵取船二艘の役の徴収など、強い支配権が認められた。

合戸村
ごうどむら

[現在地名]富山町合戸

宮野谷みやのやつ村の北に位置し、北東にとみ山がある。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録に村名がみえ、高二六七石余、うち田方一八〇石余。里見氏給人領。同一九年の里見氏改易後の領主の変遷は宮野谷村に同じ。なお当地八幡神社の同一七年の棟札には「護法戸村」、慶安二年(一六四九)の福満寺文書には「御法土村」とある。正保郷帳では田高一七〇石余・畑高八八石余、ほかに福万寺(福満寺)領六石。万治二年(一六五九)の佐倉藩勝山領取箇帳(吉野家文書)によると今高三六二石余、うち永荒・川欠と溝代引が二石余あり、残高三六〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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