右田・一丁田遺跡(読み)みぎた・いつちようだいせき

日本歴史地名大系 「右田・一丁田遺跡」の解説

右田・一丁田遺跡
みぎた・いつちようだいせき

[現在地名]防府市大字下右田

周防灘に注ぐ佐波さば川の三角州扇状地の頂部付近から、右田ヶ岳の南麓にかけて分布する弥生時代から中世にわたる三ヵ所の複合遺跡。昭和四七年(一九七二)一丁田地区・右田地区・片山かたやま地区に分けて発掘調査を実施した。

一丁田地区は佐波川右岸の沖積段丘に遺存する条里遺構の東北端で、いちつぼなど条里の坪名が残る。弥生時代中期から古墳時代にわたる村落遺跡で、円形住居一二、方形住居一〇、不整形の住居跡二基など、二一軒の竪穴住居の遺構が検出されている。この地に初めて住居がつくられたのは弥生中期で、形態は円形の竪穴住居である。後期になると方形が出現し、円形プランと方形プランの住居が古墳前期まで共存しつつ交代した推移の過程を知ることができる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報