古渓町(読み)こけいまち

日本歴史地名大系 「古渓町」の解説

古渓町
こけいまち

[現在地名]博多区奈良屋町ならやまち

奈良屋番の北側に東西に延びる通りの両側町。東は奥小路おくしようじ町、西は妙楽寺みようらくじ町、北は芥屋けや(福岡博多近隣古図)。元禄三年(一六九〇)の家数二四(続風土記)。明和三年(一七六六)の家数二七・間数五八間余(石城志)。慶応二年(一八六六)の家数二三(博多店運上帳)町名の由来は「古渓和尚此町の大同庵に住せし故この名あり」と伝える(続風土記)。また「昔、古渓和尚大同庵に住せられし時ハ、寺門此町にあり。故に此町名あり。今ハ奈良屋番に寺門あり。されとも旧に依て今もかく呼り」とされる(続風土記附録)。大同庵の門は初め北西の方にあったという(石城志)。前掲近隣古図には当町の辻に「古渓水」の注記がある。「続風土記拾遺」によればこの辻井戸は古渓が火難除けのため「神呪水の法」を修したと伝える(→奈良屋番

「続風土記拾遺」によると、当町の魚問屋はかつてうお町下まちしもにあり、博多津中唯一の魚類売買の市場であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報