取手(市)(読み)とりで

日本大百科全書(ニッポニカ) 「取手(市)」の意味・わかりやすい解説

取手(市)
とりで

茨城県南部にある市。1970年(昭和45)市制施行。2005年(平成17)北相馬(きたそうま)郡藤代町(ふじしろまち)を編入。古く城跡があって砦(とりで)といったのが地名の由来。のち取出と書き、1673年(延宝1)取手と改称した。北相馬台地と利根(とね)川、小貝(こかい)川の沿岸低地をもつ。JR常磐(じょうばん)線(東京地下鉄千代田線が乗り入れる)、関東鉄道常総(じょうそう)線、国道6号、294号が通じる。中世の相馬御厨(みくりや)の地で相馬氏の支配を経て近世は佐倉(さくら)藩、関宿(せきやど)藩、前橋藩などが支配し、天領、旗本領もあった。水戸街道の宿場町、利根川水運の要地で、取手宿、取手河岸(かし)として栄えた。かつては灯心に使う藺草(いぐさ)栽培が盛んだった所で、現在は利根川下流・小貝川米作地帯の一部をなす。近代工業が発達し、食品、機械、電気機器、金属工業が盛大で、茨城県では上位に並ぶ工業都市。1949年の日本国有鉄道(国鉄。現、JR)開通以来、東京への通勤者と住宅団地が増加し人口が急増した。竜禅寺(りゅうぜんじ)三仏堂は国指定重要文化財、旧取手宿本陣染野(そめの)家住宅は県指定文化財。徳川家康(いえやす)の家臣で「一筆啓上火の用心…」の手紙で知られる本多作左衛門重次(ほんださくざえもんしげつぐ)(1529―1596)の墳墓は県指定史跡。面積69.94平方キロメートル、人口10万4524(2020)。

[櫻井明俊]

『『取手市史 民俗編・民家編・近世史料編・通史編』(1980~1996・取手市)』


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