原新田(読み)あしわらしんでん

日本歴史地名大系 「原新田」の解説

原新田
あしわらしんでん

[現在地名]豊橋市芦原町

梅田うめだ川の右岸にあり、高足たかし村の西に続く流域の新田。明暦三年(一六五七)遠江国敷知郡(梨)(現静岡県湖西市)の豪農吉原弥次右衛門の開発した新田。同年の吉田藩の新切免定(吉原家文書)には、

<資料は省略されています>

とある。芦原縁起(吉原克巳氏蔵)によれば、はじめ、寛永年間(一六二四―四四)に領主水野忠清が開拓を計画したが失敗したという。弥次右衛門の着手後も度々津波洪水の災を受けたが、三代弥次右衛門の時完成し、寛文一二年(一六七二)検地では田方二二町二反余、畑三町二反余、石高三〇四石余であった。

原新田
はらしんでん

[現在地名]熊谷市楊井やぎい

大里郡上吉見かみよしみ領に所属(風土記稿)。荒川右岸の江南こうなん台地東端付近に位置し、北は平塚ひらつか新田、南は男衾おぶすま野原のはら(現江南町)。名主園右衛門の先祖五郎兵衛が開発した新田で、元禄(一六八八―一七〇四)の改では無高であったが、享保一八年(一七三三)の検地で高入れされた。

原新田
はらしんでん

[現在地名]川口町西川口にしかわぐち 原新田

東は魚野うおの川、北西信濃川に臨む。「新編会津風土記」に「此村もと公領本郡東川口村糸魚川藩領西川口村境内にて字を下原田中と称ふ」と記し、耕地も川口村と西川口村と交錯するという。元禄七年(一六九四)に川口村大庄屋中林氏が、西川口村の上段に新開した高一九六石四斗余の地を分村し、原新田としたという。

原新田
はらしんでん

[現在地名]柏崎市上原かみはら東原ひがしはら

上原村に隣接する。天和三年(一六八三)の越後中将御領覚では高三九石六斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

自動車税・軽自動車税

自動車税は自動車(軽自動車税の対象となる軽自動車等および固定資産税の対象となる大型特殊自動車を除く)の所有者に対し都道府県が課する税であり、軽自動車税は軽自動車等(原動機付自転車、軽自動車、小型特殊自...

自動車税・軽自動車税の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android