即身仏(読み)そくしんぶつ

改訂新版 世界大百科事典 「即身仏」の意味・わかりやすい解説

即身仏 (そくしんぶつ)

即身成仏した行者のことであるが,通常その遺体がミイラ化して現存するものをいう。一般仏教の即身成仏は,真言宗天台宗禅宗も,観念上の即身成仏である。しかし日本人の宗教観には現人神(あらひとがみ)の信仰があって,生きた人間に神霊が憑依(ひようい)すれば,その人間はその身そのまま神になる。仏が憑依すれば即身成仏なので,修験道では山伏巫覡(ふげき)として予言託宣,祈禱に仏力をあらわすのが即身成仏である。これを死後にも及ぼそうというのが入定(にゆうじよう)信仰で,入定した行者は死後も霊魂は永遠に生きていて,種々の奇跡をおこすと信じられた。入定信仰をいっそう確実に認識しようとして,空海の入定後も肉体は生けるがごとく,廟中に現存して,鬢髪や爪も伸びていたと語られ,これを入定留身(るしん)という。空海にならった入定は弟子たちによってもおこなわれたが,肉体がミイラ化して遺存したことが知られるのは,新潟県長岡市の旧寺泊町野積西生(さいしよう)寺の弘智法印がもっとも古い。弘智法印は高野山修行の後,西生寺の東,岩坂に庵住し,1363年(正平18・貞治2)10月2日に入寂したが,そのミイラが現存し,今も弘智大師灯籠神事がおこなわれる。しかし即身仏といえばすぐ想起されるのは,出羽三山のうち湯殿山の即身仏で,本明寺の本明海上人(1683)がもっとも古く注連寺大日坊にもそれぞれ1体の即身仏があり,弘法大師入定にならったことがわかる。酒田市海向寺にも忠海上人(1755),円明海上人(1822)の即身仏があり,鶴岡市南岳寺の鉄竜海上人(1881)が最後である。
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