知恵蔵 「南北首脳会談」の解説
南北首脳会談
1950年に、米ソや中国を巻き込んで朝鮮戦争が起こり、53年には板門店で、国連軍と朝鮮人民軍、中国人民志願軍との間に休戦協定が結ばれた。この協定では「戦争行為と武力行使の停止」を定めてはいるが、平和条約は成立しておらず軍事境界線を挟んで現在もなお停戦中という状態にある。このため、しばしば南北間で小規模な衝突などが発生し、韓国から米軍は撤退せず、北朝鮮は核兵器開発を進めるなど緊張関係が続いている。
南北の首脳会談は、90年代の半ばに韓国の金泳三(キム・ヨンサム)大統領と、当時存命中だった北朝鮮の金日成(キム・イルソン)主席の間で行われることが予定されたが、金主席の死去で中止になった。実際に第1回の南北会談が行われたのは2000年で、北朝鮮の首都平壌(ピョンヤン)で韓国の金大中(キム・デジュン)大統領と北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記が史上初めての会談を行った。和解と統一、緊張緩和と平和、統一の構想についての共通性の確認などをうたった南北共同宣言が出され、南北間の雪解けモードが進んだ。07年には、平壌で第2回会談が盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と金正日総書記によって行われ、朝鮮戦争の終戦宣言と平和協定の締結を目指すことなどを内容とする宣言が採択された。北朝鮮の指導者が金正恩(キム・ジョンウン)委員長になってから、18年4月27日に韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領と第3回会談が行われた。会談場所は、両国の分断を象徴する板門店(パンムンジョム)の韓国側施設「平和の家」で、北朝鮮首脳が韓国側に入ったのは史上初である。朝鮮半島の「完全な非核化」実現を目標に掲げた「朝鮮半島の平和と繁栄、統一に向けた板門店宣言」が署名され、年内にも朝鮮戦争を終結させるとした。このときは、秋に文大統領が平壌を訪問するとされていたが、同年5月26日には第4回会談が板門店の北朝鮮側施設「統一閣」で行われた。これは、トランプ米大統領が同年6月に予定されていた米朝首脳会談について、中止の意向を示したことなどをうけたものと見られる。会談では板門店宣言の履行などと共に米朝首脳会談について話し合われた。文大統領は、「北朝鮮が完全な非核化を決断し実践するならば、米国には敵対関係の終焉(しゅうえん)と経済協力についての確固たる意志がある」と伝えたという。
なお、米朝首脳会談は、同年3月に北朝鮮のメッセージを韓国が仲介して米国に伝える形で開催が決まった。その後の米朝双方の当局者による非難の応酬などにより、同年5月24日になって米国から中止するとの書簡が北朝鮮に送られた。こうして米朝首脳会談の実現が危ぶまれたものの、数日後の第4回会談をはさんで予定通りの開催が報じられ、同年6月12日に史上初の米朝首脳会談が行われた。
(金谷俊秀 ライター/2018年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報