金日成(読み)キムイルソン(英語表記)Kim Il-sǒng

デジタル大辞泉 「金日成」の意味・読み・例文・類語

キム‐イルソン【金日成】

[1912~1994]朝鮮民主主義人民共和国国家主席。平安南道出身。抗日独立運動に加わり、1932年ごろからゲリラ戦を指導。第二次大戦後北朝鮮臨時人民委員会委員長を経て、1948年の建国とともに首相に就任。1972年国家主席となる。→金正日

きん‐にっせい【金日成】

キム=イルソン

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精選版 日本国語大辞典 「金日成」の意味・読み・例文・類語

キム‐イルソン【金日成】

朝鮮政治家。平安南道出身。第二次大戦後、北朝鮮臨時人民委員会長。一九四八年朝鮮民主主義人民共和国成立の際首相、また朝鮮労働党委員長。七二年国家首席。(一九一二‐九四

きん‐にっせい【金日成】

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改訂新版 世界大百科事典 「金日成」の意味・わかりやすい解説

金日成 (きんにっせい)
Kim Il-sǒng
生没年:1912-94

朝鮮の政治家。抗日パルチザン闘争の中から生まれた朝鮮民主主義人民共和国創建以来の最高指導者。本名金成柱。日成は1930年ころからの組織名で,当初は一星(同音)とも書いたという。当時の日本軍や警察関係者,現在の韓国体制側に〈金日成〉襲名説をなすむきがあるが,客観的根拠がない。平安南道大同郡(現,平壌市万景台区域)に生まれ,1925年民族運動家であった父金享稷(1926没)にともなわれて西間島に移住,撫松第一小学校,華甸県華成義塾をへて,27年吉林毓文中学入学後共産青年同盟の活動家となり,29年には国民党軍閥政権による逮捕投獄も体験した。30年の〈間島五・三〇蜂起〉以後の大衆的反日抗争の高揚,そして満州事変の勃発という緊迫した状況の中で31年10月入党(当時としては中国共産党),32年春安図県での抗日遊撃隊組織に参加した。以後抗日パルチザン部隊(東北人民革命軍)の一政治委員として活動していたが,34-35年の反民生団闘争・路線転換の主導権をとり,35年以後長白県に根拠地をおいて朝鮮内との連係を重視した段階では,全体の指導者であったとみられる。その思想は〈民族共産主義〉と称されるような特質をもち,このころから〈白頭山の虎〉〈金日成将軍〉の名は国内にも広く知られるようになった。40年以後小部隊を残してソ連領に移動,日本帝国主義の敗亡を待ち,解放後ソ連軍とともに北朝鮮に帰り,45年10月から指導者として大衆の前に姿を現した。46年2月北朝鮮臨時人民委員会委員長に就任して同3月〈20ヵ条政綱〉を公表,47年2月北朝鮮人民委員会委員長,48年9月朝鮮民主主義人民共和国創建とともに首相(72年以後は共和国主席)。53年朴憲永派との,56年崔昌益派との党内闘争を乗りきり,以後長期間,朝鮮労働党と政府の主導権を一身に集中し,周辺に常に敬語を使って表記するような雰囲気も生じている。60年代中ソ論争以後は自力更生旗印を鮮明にし,70年代にはチュチェ(主体)思想唱道している。80年の労働党6回大会では,彼の前妻の子である金正日(1942- )が公式に党中央委政治局筆頭常務委員に選任され,91年人民軍最高司令官,93年国防委員会委員長に就任,〈代をついだ革命〉の方向といわれている。金日成没後3年をへて97年10月,朝鮮労働党総書記に就任した。
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百科事典マイペディア 「金日成」の意味・わかりやすい解説

金日成【きんにっせい】

朝鮮民主主義人民共和国の政治家。本名金成柱。平安南道の出身。少年時より中国東北(満州)で中国共産党指導下に活動。1931年共産党に入党。1932年以降抗日遊撃戦に参加,1940年以降ソ連領に移動。1945年ソ連軍とともに金日成将軍として故国に入り,1948年共和国創建とともに首相(1972年以後は共和国主席),1949年朝鮮労働党中央委員長(1966年以後は総書記)となる。1950年南進統一をめざして朝鮮戦争を起こしたが失敗し,戦後の1953年朴憲永ら,1956年延安派の崔昌益らを排除して権力を確立,以後一貫して同国の最高指導者としての地位を保持した。1960年代の中ソ論争以降は自力更生を標榜し,チュチェ(主体)思想を唱導。前妻の子の金正日が権力を継承した。
→関連項目金一金正恩黄【せき】暎在日朝鮮人帰還協定崔庸健張成沢朝鮮独立運動朝鮮半島非核化宣言

金日成【きんじつせい】

金日成(きんにっせい)

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「金日成」の解説

金日成(キム・イルソン)
Kim Il-s&obreve;ng

1912~94

北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の民族的指導者,首相(在任1948~72),国家主席(在任1972~94)。平壌(ピョンヤン)郊外の万景台で誕生し,幼い頃に満洲に移住した。1930年代後半に南満洲で遊撃隊の指揮官として活躍したが,41年にソ連領に逃亡。帰国後,ソ連占領下で活躍し,48年9月の朝鮮民主主義人民共和国の樹立とともに内閣首相に就任した。50年には,朝鮮の武力統一(朝鮮戦争)を企図して失敗した。その後,「主体(チュチェ)思想」を土台に独自の一元的な政治体制を構築して,重工業優先の経済体制のもとで軍事力を増強し,「南朝鮮革命」による祖国統一を追求したが,南北対話も排除しなかった。72年の社会主義憲法採択とともに共和国主席に就任した。対外的には,反米闘争路線を採用しつつ,中ソ両国に対しても自主路線を展開した。

金日成(きんにつせい)

金日成(キム・イルソン)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金日成」の解説

金日成 キム-イルソン

1912-1994 朝鮮民主主義人民共和国の指導者。
1912年4月15日生まれ。1919年中国東北地区にうつる。吉林(きつりん)毓文中学在学中に共産主義青年同盟に参加。1931年中国共産党にはいり,抗日運動を展開。1945年ソ連軍とともに帰国。1948年人民共和国の創建に際して首相,1972年国家主席となり,権力を一身に集中させた。その思想は「主体(チユチエ)思想」とよばれる。1994年7月8日死去。83歳。子の金正日(キム・ジョンイル,1942-2011)がその権力の座を引き継いだ。平安南道出身。本名は成柱(ソンジユ)。

金日成 きん-にっせい

キム-イルソン

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「金日成」の解説

金日成
きんにっせい
Kim Il-sōng

1912.4.15~94.7.8

朝鮮民主主義人民共和国の政治家。平安南道出身。3・1運動後,中国東北地方に移住し,満州事変後は抗日武装闘争を展開したとされるが,この間の経歴にはなお不明な点も多い。日本敗戦後,朝鮮人民革命軍とともに帰国。朝鮮共産党北朝鮮分局責任秘書・北朝鮮労働党副委員長などを歴任し,1948年朝鮮民主主義人民共和国首相。72年国家主席。その革命理論はチュチェ(主体)思想とよばれる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金日成」の意味・わかりやすい解説

金日成
きんにちせい

キム・イルソン(金日成)」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の金日成の言及

【金日成】より

…日成は1930年ころからの組織名で,当初は一星(同音)とも書いたという。当時の日本軍や警察関係者,現在の韓国体制側に〈金日成〉襲名説をなすむきがあるが,客観的根拠がない。平安南道大同郡(現,平壌市万景台区域)に生まれ,1925年民族運動家であった父金享稷(1926没)にともなわれて西間島に移住,撫松第一小学校,華甸県華成義塾をへて,27年吉林毓文中学入学後共産青年同盟の活動家となり,29年には国民党軍閥政権による逮捕投獄も体験した。…

【吉林[省]】より

…また省内の20以上の県に武装農業移民が入植し,中国農民の土地を取りあげて入植地とした。このような日本の支配に抗して,楊靖宇(1905‐40)らは反満抗日の運動を展開し,長白山地の峻険な地形と密林を利用しつつ,日本軍の討伐に頑強な抵抗を示したし,延辺地区では金日成らが,朝鮮独立運動を推進した。延辺地区には,朝鮮に対する日本の植民地統治政策の結果土地を奪われて流入した人々が多かっただけに,独立運動(朝鮮光復運動)の本拠として大きな役割を果たしたのである。…

【抗日パルチザン】より

…しかし満州事変当初有力だった中国国民党系等の反満抗日軍が急速に崩壊するにつれ,日帝側は〈共産匪〉に〈集中討伐〉を加え,〈集団部落〉をつくったり謀略団体〈民生団〉を送りこんだりした。この34‐35年の厳しい時期に現出した解放区放棄方針等の指導の混乱を,金日成の主導のもとに克服した朝鮮人民革命軍は,以後朝鮮に最も近い長白県に根拠地をおき,コミンテルン7回大会(1935)を背景に朝鮮の民族解放と革命の独自の課題に集中するようになる。すなわち36年5月に祖国光復会を組織し,37年6月豆満江上流の朝鮮側にある普天堡に進攻するなど,国内民衆との連係を重視した。…

【祖国光復会】より

…朝鮮における抗日武装闘争の後期1936年5月に,鴨緑江上流中国側の長白県に根拠地をおく金日成(きんにつせい)らが組織した朝鮮人の抗日民族統一戦線組織。その綱領10ヵ条は,反帝反封建の人民民主主義革命段階の課題を系統的に示したものとされる。…

【チュチェ思想】より

金日成(きんにつせい)の名のもとに唱道されている朝鮮民主主義人民共和国の思想原理。自力更生論をいっそう包括的な哲学体系に発展させて,1960年代後半以降チュチェ(主体)思想と呼ぶようになった。…

【朝鮮民主主義人民共和国】より

…朝鮮戦争(1950‐53)後は休戦ライン以北を支配領域としており,9道19市144郡からなる。1930年代中国東北で展開された抗日武装闘争の革命伝統を受けつぎ,朝鮮労働党をひきいる金日成を建国以来の指導者として,自主独立の姿勢で一貫してきた。94年の金日成没後,金正日を中心とする後継者体制を築きつつある。…

【朝鮮労働党】より

…朝鮮民主主義人民共和国の政権を担う政党。1930年代の抗日パルチザン闘争の革命伝統を継承し,金日成チュチェ(主体)思想を指導指針とし,〈共和国北半部における社会主義の完全な勝利と全国的範囲における民族解放民主主義革命・祖国統一の実現を当面の目的,共産主義の建設を最終目的〉としている。労働者・農民・勤労知識人の前衛部隊であると同時に,朝鮮民族と朝鮮人民の利益を代表する大衆的政党でもあるとされている。…

※「金日成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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