南光坊(読み)なんこうぼう

日本歴史地名大系 「南光坊」の解説

南光坊
なんこうぼう

[現在地名]今治市別宮町三丁目

吉本に別宮大山祇べつくおおやまずみ神社と並んであり、別宮山南光坊と号し、大積山金剛院光明寺ともいう。四国八十八ヵ所の五五番札所で、真言宗醍醐派、本尊は大通智勝仏。もとは大三島おおみしま大山祇神社の属坊として建てられた二四坊のうちの一つであったといわれる。別宮大山祇神社は越智玉澄が地御前として勧請したと伝えるが、正治年間(一一九九―一二〇一)に大善坊・乗蔵坊など七坊とともにその別当寺として大三島から別宮に移されたものという。

代々国司および河野氏の崇敬をうけ、大山祇神社の発展とともに隆盛をきわめたが、天正年間(一五七三―九二)に長宗我部勢の兵火により八坊すべて焼失、最も寺禄の少なかった南光坊のみ再興されたと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「南光坊」の解説

南光坊

愛媛県今治市にある寺院正称は光明寺金剛院南光坊。真言宗醍醐派。大宝年間に建てられた大山祇神社の別当寺が起源とされる。本尊は大通智勝如来。四国八十八ヶ所霊場第55番札所。

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