千家郷(読み)せんげごう

日本歴史地名大系 「千家郷」の解説

千家郷
せんげごう

中世の杵築大社(出雲大社)領一二郷のうちの一つ。千家村ともいう。康元元年(一二五六)一二月日の杵築大社領注進状(北島家文書)に千家村として一一町五段の面積が記され、うち神田一段・寺田三〇〇歩・河成三〇〇歩・常不六〇歩を除く残りの一一町二段六〇歩が定田、その内訳は八斗代一一町一段二四〇歩、三斗代一八〇歩であった。古代出雲神戸かんべ郷の内にあって、古代末期に国造出雲氏自身の手で開発が進められ、いったん国衙領として成立したのち、改めて杵築大社に寄進され、大社領の一角を構成するに至ったと考えられる。南北朝初期における国造家の分裂に際し、その一方が千家を称したのは、この地名に由来する。しかし領有権のすべてが国造千家氏に属していたわけではなく、康永二年(一三四三)六月八日の国造出雲清孝知行充行目録(千家家文書)において、「十二郷之儀ハ三分一宛可有知行也」と定められ、国造千家・北島両家と上官諸家の三者がそれぞれ三分一ずつ知行することとなった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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