北浦町(読み)きたうらちよう

日本歴史地名大系 「北浦町」の解説

北浦町
きたうらちよう

面積:一〇三・四四平方キロ

東臼杵郡の北東端に位置し、北は大分県佐伯市、東は同県南海部みなみあまべ蒲江かまえ町と日向灘に面する。西は北川きたがわ町、南は延岡市。砂岩頁岩からなる四万十累層群上にあり、町域は東西約九キロ・南北約一五キロ。集落は古江ふるえ川・市振いちぶり川の河口にある古江・市振・宮野浦みやのうらの海岸部と町域の中央部を西流する川流域一帯に点在している。町域の大半はじんが峰・津島畑つしまばた山・場照ばてる山・ほこ山など四〇〇―六〇〇メートル級の山々からなり、海岸部に向かって急峻な傾斜面を見せている。そのためリアス海岸が発達し、天然の古江・市振・宮野浦の各漁港と直海のうみ港がある。主要道路は小川流域に沿って延岡市と佐伯市を結ぶ国道三八八号が走る。

古江川河口付近にある中野内なかのうち遺跡は縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡で、弥生時代・古墳時代の竪穴住居跡や土坑が多数検出され、なかには花弁状の平面形を呈する間仕切住居の典型例ともいえるものがみられた。古墳は発見されていない。古代律令制下では臼杵郡に属していたことは確かだが、「和名抄」にみえる同郡「氷上郷」を「永井郷」の誤記だとする説をとれば、同郷に含まれていたとも考えられる。

北浦町
きたうらまち

1997年10月1日:行方郡北浦村が町制施行
【北浦村】茨城県:行方郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の北浦町の言及

【男鹿[市]】より

…1954年,船川港町と隣接4村が合体して市制。翌年,船越町,北浦町を編入。人口3万2484(1995)。…

※「北浦町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」