北材木町(読み)きたざいもくまち

日本歴史地名大系 「北材木町」の解説

北材木町
きたざいもくまち

[現在地名]仙台市春日町かすがちよう国分町こくぶんちよう三丁目

国分町北部の西にある両側町で、町の長さは四町(奥陽名数)。安政仙府絵図では北片側町が通町とおりまち(奥州街道)に面している(正保仙台城絵図では国分町域)。また寛文九―一一年(一六六九―七一)の城下絵図では本材木もとざいもく町より南北に延びる木町きまち通の西片側にも当町名が記され、その西は藩の宿老遠藤文七郎邸である。町方二四町の九番目に列し(明治二二年城下町検断肝入職制写「仙台市史」所収)、この序列に従えば本材木町北目きため町との関係から慶長年間(一五九六―一六一五)の成立と考えられる。同期に本材木町より移され、単に材木町と称していたと思われ、寛永九年(一六三二)の連署状(石母田家文書)の「材木町 帯刀」とは当町とみられる。

北材木町
きたざいもくちよう

[現在地名]堺市材木ざいもくひがし一丁・材木ざいもく西にし一丁

車之くるまの町の北にある大道を挟んだ両側町。「細川両家記」に永禄一〇年(一五六七)二月一六日、三好三人衆と袂を分った三好義継は堺に入り「北庄材木町木屋」を宿所としたとある。この木屋に関して「天王寺屋会記」同一一年一二月一〇日条に「北才木町木屋宗右衛門方ニ、つくものかまなすひ始而拝見申候」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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