勝山藩(美作国)(読み)かつやまはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「勝山藩(美作国)」の意味・わかりやすい解説

勝山藩(美作国)
かつやまはん

美作(みまさか)国真島(まじま)郡勝山(岡山県真庭市)に置かれた譜代(ふだい)小藩。所領は真島郡92か村、2万3000石。藩主は三浦氏。城地は美作南部、旭(あさひ)川と新庄(しんじょう)川との合流地点にあり、美作・播磨(はりま)・備前(びぜん)と伯耆(ほうき)・出雲(いずも)を結ぶ出雲街道の要所にあたる。この地はもと高田といい、南北朝期以来三浦氏が高田城に拠(よ)って勢威を振るっていたが、毛利氏に追われた。江戸時代に入ると森忠政が津山藩主となって美作一国を支配し、この地も津山藩領に属したが、1697年森氏改易となり、その後は幕領となっていた。1764年(明和1)6月、かつての三浦氏の一族にあたる三河国(愛知県)西尾藩主三浦明次(あきつぐ)がこの地に移され、城地再興を許されて旧高田城の地に築城勝山藩と称した。明次は入部するや築城とともに藩校明善館を開いて藩士子弟の教育を図った。以後子孫相承すること10代にして明治維新に至り、1869年(明治2)7月真島藩と改称したが、2年後に廃藩置県を迎え、真島県、北条県を経て岡山県に編入された。

松尾 寿]

『森本清丸編『勝山町史』全2巻(1974・勝山町)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android