加島村(読み)かしまむら

日本歴史地名大系 「加島村」の解説

加島村
かしまむら

[現在地名]淀川区加島一―四丁目、西淀川区竹島たけしま一―五丁目・御幣島みてじま五―六丁目など

神崎川と猪名いな川の合流点南岸の湾曲部に位置し、西成にしなり北中島きたなかじまでは大村に属する。集落は村の中央部大島おおしま街道沿いに散在し、北西には川辺かわべ郡神崎村(現兵庫県尼崎市)への神崎渡がある。種々の俗称があり、鍛冶師の多く住した地であったことから鍛冶かじしま香具波志かぐはし神社の鎮座するところから神島かみしま、また同社の連歌殿で盛んに連歌が行われたことから歌島うたじまともよばれた。加島はこれらの換用と考えられるが、「続日本紀」延暦四年(七八五)正月一四日条に「遣使堀摂津国神下・梓江・鰺生野通于三国川」とある「神下」が変化したとの説もある(「加島神社伝記」香具波志神社蔵)

加島は、古代はいわゆる難波八十島なにわやそじまの一つで住吉社(現住吉区)領であったと伝え、「住吉松葉大記」は「仮島」の字をあてる。前出延暦四年の記事は、淀川と三国みくに(神崎川)を結ぶ水路の開削とされるが、これによって、三国川は都と西国を結ぶ交通路となり、河口に近い加島は神崎や江口えぐち(現東淀川区)などとともに港津集落として発達した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報