加島新田(読み)かじましんでん

日本歴史地名大系 「加島新田」の解説

加島新田
かじましんでん

一七世紀に加島代官古郡氏によって開発された加島一帯の新田。俗に「加島五千石」とよばれる。新田の開発は寛永一七年(一六四〇)古郡重政幕府の許可を得て自己資金で着手したという(寛文一一年「加島新田十分一下し証文写」個人蔵)。新田開発のために富士川の洪水を防ぐ必要からかりがね堤が築かれ、延宝二年(一六七四)に完成している。開発された新田は寛永改高附帳に「籠下村新々田」とみえ、高一千八七六石余。延宝七年の加島領郷帳(須津文書)によれば三三ヵ村、高六千四五六石余。新田の中心村であった籠下村は同五年に松岡まつおか村と改称したという(駿河記)

加島新田
かしましんでん

[現在地名]西春町加島新田

現町域の東南端、しん川の北に位置する。東西二町一〇間・南北二町四三間(徇行記)。江戸時代には九之坪くのつぼ村のうちであった。開発年代は不詳であるが、正保三年(一六四六)縄入の記録がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報