前田利長墓所(読み)まえだとしながぼしよ

日本歴史地名大系 「前田利長墓所」の解説

前田利長墓所
まえだとしながぼしよ

[現在地名]高岡市大野おおの芳野よしのなど

瑞龍ずいりゆう寺の東方、約一キロに位置。瑞龍寺とは八丁はつちよう道で結ばれる。利長廟ともよばれ、県指定史跡。嘉永三年(一八五〇)の高岡輿地全図には、御廟として惣構一〇〇間四方などとあり、南側に繁久はんきゆう寺、東側に鎮守などを描く。「高岡町図之弁」によれば、前田利長の三十三回忌のため正保二年(一六四五)に建立された。作事奉行は宮城・浅賀。廟所石壇は戸室石を切出し、下段は八間、中段は六間、上段は二間四方。二尺四方の板石に蓮花を彫り、その上に御影石の石塔を建てた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報