前河内村(読み)まえがわちむら

日本歴史地名大系 「前河内村」の解説

前河内村
まえがわちむら

[現在地名]野津町前河内

いち村の南西、ほぼ北流する野津川支流前河内川流域にある。臼杵うすきおか城路がほぼ東西に通る。慶長一一年(一六〇六)の惣御高頭御帳に村名がみえ、高五二三石余。川登村組に属した。正保二年(一六四五)の稲葉能登守知行高付帳によれば本高六四二石余・出来高四三石余、田方三三七石余・畑方三四九石余、桑山などありと注記される。正保郷帳では野津之院に属し、高七三六石余(田方四三九石余・畑方二九七石余)には野口のぐち村分が含まれる。

前河内村
まえごうちむら

[現在地名]吉見町前河内

大串おおくし村の西に位置し、西は江綱えつな村。村域は市野いちの川左岸の低地を占め、旧荒川筋の自然堤防上に集落が発達している。弘長二年(一二六二)銘のものをはじめとして鎌倉時代の板碑四基、南北朝期の板碑六基、室町―戦国期の板碑三基が確認されている。田園簿によると田高三二六石余・畑高九一石余、幕府領。日損水損場との注記がある。元禄郷帳では高七〇八石余。国立史料館本元禄郷帳では旗本鈴木領。宝暦一三年(一七六三)下総国佐倉藩領となり幕末に至る(「堀田氏領知調帳」紀氏雑録続集、「郡村誌」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android