利根庄(読み)とねのしよう

日本歴史地名大系 「利根庄」の解説

利根庄
とねのしよう

利根郡全域に広がる広大な庄園。南北朝期には豊後守護大友氏が地頭職を有しており、両朝合一後は万里小路家領となっている。初見は正応三年(一二九〇)三月三〇日の年紀をもつ沼田榛名はるな神社鐘銘(古鐘銘集成)で、「利根荘内臼根郷春名権現」とあり、臼根うすね郷を含むことがわかる。臼根郷は現沼田市内の薄根うすね川右岸を中心にした地域。貞治三年(一三六四)二月日の大友氏時所領所職注進状案(大友文書)には「利根庄号土井出庄」とあって、土井出つちいで庄と同じものと理解されている。大友氏が地頭職を得た時期は不明だが、おそらく、その祖中原親能が鎌倉幕府成立期に取得したものではあるまいか。正慶二年(一三三三)大友貞宗は豊後守護職などとともに息氏泰に譲っており(同年三月一三日「大友貞宗譲状案」大友文書)、氏泰は貞和四年(一三四八)弟氏時に譲った(観応三年九月二二日「足利義詮袖判下文案」同文書)。この間暦応二年(一三三九)には氏泰は貞宗の追善のため庄内川波かわば(現川場村)吉祥きちじよう寺を建立(「中巌円月自歴譜」、応安三年二月一五日「吉祥院大拙祖能留書」吉祥寺文書)、氏時は文和三年(一三五四)吉祥寺に庄内上河波かみかわば村を寄進している(同年七月二四日「大友氏時寄進状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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