出目村(読み)でめむら

日本歴史地名大系 「出目村」の解説

出目村
でめむら

[現在地名]久留米市御井町みいまち

高良こうら山の西麓に位置し、西は府中ふちゆう町に接する。飛地が府中町にある。地名は慶長六年(一六〇一)田中吉政筑後入国検地により高良山領から新たに打出した地坪に由来するという(高良山雑記)。「筑後地鑑」には高良山こうらさん村とあり、今は出目村と称すと注記される。本高は一一五石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高一二〇石・役高一一二石。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高一一二石、文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田四町六反余・開田二反余・畑田四反余・畑七町三反余・居屋敷一反余。

出目村
いずめむら

[現在地名]広見町出目

三間みま川と広見川が吉野川に合流する地域に位置する。東は興野々おきのの村、西は永野市ながのいち村に接する。

延宝九年(一六八一)の「吉田古記」に「出目村分」と村名がみえる。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)宇和郡の項では「奥野ノ村」に含まれ、合わせた石高は一千四三一石二升五合とあるが、「郡鑑」によるとこの石高が興野々村と出目村に分離して記載されている。おそらく明暦三年(一六五七)に吉田藩が宇和島藩から分封した頃に分村したのであろう。

出目村
でめむら

[現在地名]森町一宮いちみや

赤根あかね村の南、一宮川流域にある。周知すち郡に属する。「遠江国風土記伝」によれば、昔検地の時に赤根・大久保おおくぼ片瀬かたせの三ヵ村の余分を出目と称し、百姓家はなく三ヵ村の百姓が耕作していたとある。「遠淡海地志」には寛永九年(一六三二)の検地で三ヵ村から打出しの村というとある。

出目村
でめむら

[現在地名]中央町馬場ばば

東は馬場村、北は堅志田かたしだ村、西と南は中小路なかしようじ村に接し、浜戸はまど川が流れる。慶長国絵図には村名がみえず、馬場村のうちに含まれている。「一統志」「肥集録」には独立村として記載され、「国誌」には馬場村の項に村名がみえ、近世中頃独立したと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android