出田村(読み)すつたむら

日本歴史地名大系 「出田村」の解説

出田村
すつたむら

[現在地名]珠洲市若山町出田わかやままちすつた

飯田いいだ町の北、若山川の右岸にある。同町の出村で、脇田谷内わきだやち川辺かわべり山岸やまぎし杉田谷内すぎたやち垣内が営まれる。川辺に有政という旧家があり、飯田との間を有政畷ありまさのうてと称した。正保郷帳に村名がみえ、高六一八石余、田三七町余・畑四町一反余、新開高二八石余(免二ツ八歩四厘)。承応三年(一六五四)の能登奥両郡収納帳では草高六四八石余、免三ツ四歩五厘、夫銀三一三匁余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の草高六七七石、免五ツ一歩、新開高二石余、小物成は山役一八四匁・外海船櫂役二八匁、なお敷借本米・利足は二八石であった(三箇国高物成帳)

出田村
いでたむら

[現在地名]菊池市出田

広瀬ひろせ村の東、菊池川が花房はなぶさ台地の北側で大きく流れを南から西へ変えるところに位置する。隈府わいふ町高札辻より約一里。慶長国絵図に村名がみえる。近世は河原手永に属し、「国誌」記載の小村上古閑は現在植古閑うえこがと記される。文化一一年(一八一四)頃の河原手永手鑑に高一千二五二石余、田二二町八反一畝余・畑一一八町三反九畝余、竈数一四三・人数五六一、駄馬三〇、氏神天満宮とある。字東屋敷ひがしやしき出田堂坂いでたどうさか横穴群がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android