冷泉持為(読み)れいぜい もちため

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「冷泉持為」の解説

冷泉持為 れいぜい-もちため

1401-1454 室町時代歌人,公卿(くぎょう)。
応永8年生まれ。冷泉為尹(ためまさ)の次男冷泉為之(ためゆき)の弟。兄の上冷泉家に対して下冷泉家をひらく。将軍足利義教(よしのり)に忌避されたが,その死後歌壇に復帰。文安5年従三位となり,のち従二位,権(ごんの)大納言一条兼良(かねよし)や中原康富らにおしえた。享徳3年9月1日死去。54歳。初名は持和。家集に「持為卿詠草」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の冷泉持為の言及

【冷泉家】より

…中世以来の歌道家。御子左(みこひだり)家の一流。藤原為家の子の冷泉為相(ためすけ)が,定家・為家の住んだ跡に住み,以後冷泉の号を継承した。為相の曾孫の為之・持為のときに上冷泉・下冷泉に分かれ,上冷泉家が嫡流である。為相は,はじめ京極派にいたが,関東に居たことなどから武士を中心に関東に影響力をもった。歌風は,おのおの自得の風を詠み,学びやすきを学ぶ自由さがある一面,和歌の一派としてはとくに大きな流派性はなく,為兼のような二条派に対する歌風上の強硬な主張をしていない。…

※「冷泉持為」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」