20世紀日本人名事典 「冨田 甚平」の解説
冨田 甚平
トミタ ジンペイ
明治〜昭和期の農業指導者
- 生年
- 嘉永1年11月30日(1848年)
- 没年
- 昭和2(1927)年3月3日
- 出生地
- 肥後国菊池郡水島村(熊本県菊池郡七城町)
- 経歴
- 生家は郷士で田畑5町歩の地主。同郡辺田村の筑紫宗甫に入門して漢学を修める。のち農業に従事するようになり、明治11年に劣等の湿田が多い同郡の農業改善のため、暗渠排水による乾田化の実験を行って冨田式暗渠排水法を考案。23年鹿児島県農商課雇となり、加納久宜知事の下で耕地の整理事業を担当。33年には山口県農事巡回教師に就任し、自身が研究した排水法の普及や農事改良の指導に当たった。さらに43年から大正3年まで秋田県で耕地整理に携わった。その後、朝鮮に渡り、長男の両助と共に同地の開拓事業に尽力。建野保との共著に「冨田式暗渠排水法」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報